
こんにちは!マズヤッテです
友人との会話の中でこんな質問がありました。
日本とアメリカはどちらの暮らしが好き?
正直、どちらかが良い!というのは無いです。
適当に回答するとすれば「日本」(母国だから)を選択しますが、窮屈さを感じるのも事実です。
一方で身近な生活の安全性においては日本は「安心さ、便利さ」さのすごく良いと思うし。
医療保険制度っていいな♪ 銃がない社会っていいな♪ 人種差別がないっていいな♪
夜1人でコンビニ行けるのっていいな♪ 自転車であちこち行けちゃうのっていいな♪
(💬私の夫はアメリカ人ですが、この「安心さ」があるってすごい!ってよく言ってますよ。)
と言うわけで、本日のテーマは私がアメリカ生活をしながら気づいた発見について共有していきたいと思います♪
- 異文化に興味がある
- 語学を勉強している
- アメリカと日本の文化の違いが知りたい
結論から言っちゃうと、その文化に入って生活しないと肌では感じられないです😔
(大量の本だの映画を見ていたとしても、ぜーんぜん感じる事なかっただろう事だらけです💦)
アメリカ 異文化の差を理解する前に
アメリカに行く前は「異文化」を理解するもとは本や聞いた話のみでした。
だけど、みなさんどう思います?こんな風に書かれたものを読んで学んだ!と思えます?
・アメリカでは土足で生活をします
・お風呂ではなくシャワーを浴びます
・食事にはフォークとナイフを使います
・右側通行です
・鼻をすすりつづける音が嫌がれます
・クリスマスは家族と共に過ごします
渡米前にあったアメリカ異文化クラスみたいなのありましたが、
いざ現地で生活してみると「なんでこうなるんだ💢」と感じることが実に多かったですよ😂
いくら英語を勉強してきたとしても、実際に生活してみないと巡り合わない感覚でした。
こうした生活習慣の違いがずらずら書かれている内容を記憶することが異文化理解じゃないことをキッパリ言っておきます。 かえって、ステレオタイプ的な見方になりすぎてしまう部分もあると感じました。
どういうことかというとね、



たとえば、逆に日本にいらっしゃる海外の方から
「日本人でしょ?◯◯知らないの?」
「日本人でしょ?◯◯使わないの?」
とインプットされたイメージをもと見られるようではいい気分はしませんよね?
幸いにも「Intellectual Communication」授業のおかげで対人関係や心理学といった分野にすごく興味持ち始めるきっかけになりました♪(多文化の混ざったアメリカでは必須教科だったりもします)ご興味あればクラスとってみてね!


というわけで、体験をもとに自分が描いたイメージや例をもとに解説していきたいと思います♪
イメージで把握する 日本のイメージ
私が感じる日本は、「ギューー」と一緒にして1つにしました!って感じるんですよ。まるでお弁当箱のような感覚😂



お弁当っぽい文化というのか、
多くのおかず、色合いを加えて見栄え良くするか?といった感じに
1つ1つは、お弁当としての役目を果たせるのだが、何をどこにおいて
やりづらさあるかもしれないけど、我慢しなさいね!って感じ(笑)
抵抗したくても「みんなもやってるんだから〜」で流される。
It doesn’t make any sense ,does it? (意味不明ですよねっ?)
弁当箱のような感覚はアメリカでは一旦忘れましょう! ちょっと自分勝手くらいな方が良いです!
なぜなら、通用しないんですよ。「ほら、みんなもやってるでしょ?」と言った所で、So What?になります💦
では、詳しく解説していきますねっ♪
アメリカとのギャップを感じる元
文化それぞれ歴史,価値,背景が異なるので比較しようがないんですよね😔
それよりも、物事の捉え方(集合体 or 個体)で別々に見ると面白いことに気づきますよ😊
見えない所に潜む捉え方の違いという観点で見ていきましょう♪
「みんな」という集合体を意識しながら物事・考え・ルールができている日本のような文化を。
Collectivistic Cultureと言います。
反対に「個」を意識するのはアメリカの文化をIndividualistic Cultureといいます


こうした「みんな」という集合に基づいた文化はに日本だけでなく、中国・韓国・台湾・インド・ベネズエラ・インドネシア・グアテマラ・エクアドル・アルゼンチン・ブラジルなどがあるんですね😊
おもしろいですよね♪言語が違っていても、日本のように集合体を意識する文化ではちょっと理解しやすい部分もあるんですね。



メキシコからの留学生が多いアメリカ。グループ意識が高く温かさも感じましたね。とはいえ、すごく時間にルーズじゃない?って矛盾さもあり、文化の謎が深まるばかり😂
では、Collectivistic Culture(日本)とIndividualistic Culture(アメリカ)それぞれの文化では、どんな部分が違うかを実際の例をもとにご紹介します。


では、具体的に例をもとに解説してみます😊 (あくまでも参考例です)
日本でのパターンと異なる状況にあっても「なぜだ?」と思わず、これも異文化?という感覚で見ていきましょう♪
アメリカと日本 「個人の特徴」vs「グループの役割」
自己紹介や自分を表現っていうシチュエーションの時、
(Individualistic Culture)個人的 | (Collectivistic Culture)集団的 |
「朝起きて1冊の本を持ってまずコーヒーショップに行くんだ!そこでカプチーノを飲みながらゆっくり朝過ごすのが好きなのさ」 | 「○○会社で受付の仕事をしています。ニ児の母親でもあります。料理が好きで、お料理教室に通っております。」 |
「アンティークが大好きで、全米各地で行われている世界中のアンティークを集めたイベントに参加するのが大好き。この間、この腕時計を買った。作りが美しくて好きなんだ」 | 「大学二年生です。サッカー部に入っています。ポジションはフォワード。専攻は、経済学。将来の夢は、スポーツトレーナーになることです」 |



Individualistic Cultureでは、自分がどんなことが好きなのか?を表現する傾向があるのに対し (個性がわかる)
Collectivistic Cultureでは、グループの中での自分の役割や所属するものを表現する傾向がある。(プロフィール的)
私の高校は田舎でしたが、数多くの留学生が在籍していた高校でした。
日本人以外にも韓国、中国、メキシコ、ブラジル、アルゼンチンなど色々な仲間がいるなかで思ったのが、英語が流暢である学生が必ずしも馴染んでいるとも限らないんですね。
韓国から来た中学生の男の子がいましたが、彼は多分英単語10個くらいでなんとか生活してましたけど、みんなに人気者でしたよ😂


アメリカと日本「多様性」vs「画一性」
グループの中での自分のあり方
必ずしも絶対こうなるとは限らないが、文化によって傾向はあると感じた。



「さぁ,みんなでランチ食べに行こう!」って時でさえ感じる
(Individualistic culture)多様性 | (Collectivistic Culture) 画一性 |
●私はベジタリアンだから○○で食べないから向こうに行くわね。 ●僕はメキシカン食べたいから、○○に行ってくる。 ●私は、○○のアイスティーが好きだからあっち行くね! | ●イタリアンと和食どっちにしよっか? ●それぞれ別のメニュー頼んで分け合って食べようか! ●クーポンあるから、ここに行こうか! |
それぞれ好きなものを食べてあとで合流すればいいんじゃない?考え | ある程度全体としての方向性があってそこに合意して行く考え |
アメリカと日本「個性あるグループ」vs「グループとしての個性」
いつも仲良くしている友達
(Individualistic culture)個人としての個性 | (Collectivistic Culture) グループとしての個性 |
●共通の外観(ファッション等)は特にない ●違う考え同士でも集まれる ●一人ベンチで本を読もうと「個」の時間尊重 | ●ファッションの流行りに合わせる ●同じような考え同士が集まる ●仲間とつるむ |
別の意味でいうと、アメリカで暮らしていて海外から来た留学生(アジア圏ではない)でも、日本とおなじCollectivistic Cultureから来た人だと、周りを意識して話が進んでいるというのを感じることができるのが面白いところです。
English Journal Onlineでもおもしろい記事があったので、ご興味ある方はこちらの記事も是非ご参考なさってください。→「個人主義か?集団主義か?人事評価が不満です!」
【余談】
日本は礼儀正しいとか、周りを気遣うという印象を持たれていますが、日本=大人っぽいという意味に直結するか?というとちょっと違うんですね。
例えば、ビジネスマンなのに電車の中で漫画を読んでいるとか、大人なのにキャラクターグッツをいろいろもっているのは欧米からすると「大人?子供?」という不思議な感覚なんですね。





時々「海外から見た日本を取り上げた番組」を見ていると、日本がいかに素晴らしいか!が取り上げられていて「日本はすごいんだな!」と視聴者的には気持ちがいいが、実際番組通りとも限らないと感じる😅
どっちが住みやすいか? まとめ



それでは、まとめです。
- どっちか1つは難しい
- 生活の違いを覚えることが異文化理解ではない
- 見えない所にある捉え方の違いがおもしろい
- 語学を勉強しているだけでは文化の違いが肌で感じられない
- 英語が話せるかよりも異文化を捉えている人が馴染んでいる